6/20 慧さん、葩さん投稿句

先日の句会で題とは別に作って来てくださった句です。

私は宗匠とか主宰というような大したものではないので、あまり添削、講評はしたくないのですが、このお二人は「生徒」という立場で臨み、そうした指導も受けたいという事でしたので、及ばずながら多少、改善点などを挙げたいと思います。

 

◆慧

細竹がくるりと舞うよ音をたて

立ち止まる小鳥さえずる深い森

仏陀杉ほのかにみえし仏の顔

たおやかに見上げし花は月下美人

月下美人満月なりと咲く今宵

ゴロゴロと猫の喉音心地良し

水ぬるむ亀が首あげ立ち泳ぎ

 

評:

二句目、屋久島に行ったときに感銘を受けての句だそうです。

しかし残念ながら、これだけだとあまり「感じ」が伝わりません。同じ「森」という単語でも人によって想像するものが違うからです。ここは屋久島の地名を入れていったほうが良いかと思います。

 

三句目は「仏の顔」だとやや語呂が悪いので「仏顔」とするか、「御仏の貌もほのかに仏陀杉」というような形も考えられます。

 

四、五句目は「月下美人」自体が「夜に咲く花」の象徴でもあるので、あまりくどくならないように重複を気を付けてください。

 

六句目はとても人柄、情景が伝わってきて良い句です。

 

最後の句もユーモラスでかわいらしくて良いのですが、それだけに「水ぬるむ」はやや浮いているかもしれません。語呂はとても良いです。

 

 

◆葩

(ヨハネ福音書より)

曲がらぬ者がまづ石投げよ縦列駐車

 

(義父の入院で、2句)

多摩川の海に開けたほうを見る

やまいだれわがよたれそつねならむ

 

評:

このように俳句に説明文をつけるスタイルを前書き、添え書きと言います。久保田万太郎などがよく好んだ手法で、その説明があることで難解な句がわかりやすくなったり、より深く感じを伝えることが出来ます。が、この場合はどうでしょう?

 

一句目は句意が難解だったので葩さんに聞いたところ「みんな縦列駐車がピタリと定位置に止められないことを非難するし、自分も非難してきたが、いざ自分でやってみると難しいものだ」ということを句にしたそうです。

しかし、その「感じ」は非常に伝わりにくく、なぜなら他の人にも聞いてみたのですが、誰もそもそも他人の縦列駐車の成否に関心がなく、つまるところ石を投げていたのは元から葩さんだけだったのです。

故事と状況が違うので結びつけることに失敗しており、また、この前書きを読み、ヨハネ福音書を読んだとしても、まあ特に句に対する感想が変わることはないので、この前書きは蛇足かと思います。

 

後者の前書きは必要です。

なぜなら、その情報を読んだあとで鑑賞した場合、「多摩川の…」は見舞いに行く車の運転中であるという情景が伝わるからです。また、川の流れと人の命などのイメージが繋がります。

 

ただ、気を付けた方が良いのは、誰かが病気、あるいは死を迎えたとき、悲しみがあふれてしまう。それが自然と句になる、あるいは哀惜の念を込めてその人に句を送るということはあるのですが、病人を「良い句になりそうだ」などという気持ちで見舞うのは不謹慎です。葩さんとお義父さんの関係性や、どのくらい深刻な病状なのか、といったことが分からないので一概にどうこう言えないのですが、なんでもかんでも俳句のためにあると勘違いしないように気を付けてください。

 

 

 

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6/20 ギャラリー双 句会

 

 

 

 

 

 

 

この日は、九さんと夢坊人さんはお休みで、ゲストであめふらしさんが参加してくれました。梅雨時なので屋内での初句会です。

 

◆この日のワンポイント◆

 

・人に俳句を送る

俳句には人に贈る挨拶句、贈答句と呼ばれるものがあります。

手前みそで武術に寄せますが、術と呼ばれるものは「二つの世界に橋を架ける性質」があります。

 

月に行きたいという気持ちと、実際の月の距離を「科学技術」はロケットを作ることで埋めます。

「魔術」は自然や精霊といった存在、あるいは自己の表層の意識と深層意識をつなぎます。

「武術」は健康でありたい、死にたくないという願望と、現実の危険との間にあり働きかけるものです。

「芸術」は聴衆や観客と一体となります。

 

俳句も一種の術です。季語を入れるのも、自分と対象の間の断絶をつなぐ橋のような役目をしています。

ことに挨拶句、贈答句は、人と人をつなぐ句です。

芭蕉は逗留する土地でまず、自分を招いた主人にご当地の風土を盛り込んだ挨拶句を送り、主人はそれに対応した句を返す、というやりとりをしていました。これはお互いの間の壁を壊すコミュニケーションでもあったでしょう。

 

また、それは同時に、その土地と自分の間の架け橋でもあります。

現代でも旅先の居酒屋などで隣り合った人から得体のしれぬ地方の名産物を勧められる、ということがあるかもしれません。その時相手は、この味覚が分かるなら仲間、食べなかったらよそ者だ、と受け入れるべきか計っています。

 

俳人は旅先のどこであってもそこをホームとします。アウェイはありません。

その無差別の心があるから路傍の一草一木にまで俳味を見出すことが出来る訳です。

挨拶句にはそうした土地を受け入れ、土地に受け入れてもらうという魔術的性質もあったように思われます。

 

今回は、こうした人に贈る句を作ってみましょう、ということで、棒を倒して向いた相手のことを題材に句作してみました。雑談、インタビュー的なやりとりを経て、相手の内面、印象を句にしていきます。

 

◆慧

擦る足の音のない音聞き分けて

 

評:

私宛ての句です。私のイメージで一番強かったのが太極拳の足さばきだそうです。

実物よりかっこいいですね。ありがとうございます。句としてもとても良いと思います。

 

◆葩

まあそうねあれもねこれもねありかもね

あじさいやオレの答えは土しだい

 

評:

ピエールさんを詠んだ句です。飄々としたつかみどころの無さをとらえようと四苦八苦していました。

ピエールさん本人は思うところあったらしく、近年の心境にマッチングした句だったようです。

「僕」や「俺」ではなくカタカナの「オレ」としたことでピエールさんの若々しさと、単に流されている訳ではなく、なんでもドンと来いという自信、強さも表現されています。

 

◆ピエール

ときをかけ風をまとった黒の女(ひと)

 

評:

ギャラリー双主人である慧さんに宛てた句です。

モナリザに似ている、というのが第一印象だったそうです。誰がどう見ているのか、誰からどう見えているのか、本当に聞いてみるまで分からないもので、そういう感じ方もあるのか、と驚かされます。

 

◆Oさん改め、三平

人に惚れ世界に惚れて我があり

 

評:

これも慧さんを評してです。ギャラリーのお仕事は作家に惚れ、その世界に惚れること。その集積として場の空気が作られ、また、慧さん自身を構築しています。最初に書いたような場と自分をつなぐ句、挨拶句ですね。

 

◆あめふらし

おだやかなまなざしギュッと絵を絞る

三毛猫に目元ゆるめる箱の主

 

評:

これも慧さん宛。棒がなぜかやたらと慧さんの方に倒れたのです。これも場の力です。

二句とも目にまつわる句です。慧さんの目に一番印象を受けていたのでしょう。厳しさと穏やかさの両方をスケッチしています。二句目はリズムや漢字とひらがなのバランスがとても良いと思います。

 

私も二句作りました。葩さん宛です。

 

直ぐに立ち道なき道を歩む人

固き草嚙み続けたる山羊に似て

 

武術の弟子でもある葩さんですが、見当違いな方向に自信満々で突っ切っていく様子や、同じことを何度繰り返して教えてもなかなか呑み込めない頑迷さがあります。しかしそれが良さでもあり、武術や俳句はタロットの「FOOL」のカードのような性質が必要でもあります。見当違いな人にしか行き付けない境地というのもあるのではないでしょうか。アシジのフランチェスコ然り、一休禅師然り。

 

今回は投票はなしです。贈答句はもらった人がどう感じたか、です。

冒頭のスケッチは三平さんの描いた葩さんと慧さん。

三枚目は葩さんの描いたピエールさんです。お二人とも絵を仕事としている方なので流石です。

 

 

次回は7月に調布の深大寺で吟行を、という話が出ています。

もしご興味のある方がいらっしゃったらご連絡ください。

 

 

 

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5/22 葩さん投稿句

この会では句会、吟行以外でも各々句を作って投稿してもらっています。

掲載希望の方はよろしければコメント欄に投稿してください。

 

さて、以下は葩さんの投稿句です。

 

 

 

 

・まっしろな五連休なり高気圧

 

評:

天気の良いゴールデンウィークという突き抜けた爽快感が良く出ています。高気圧という語句を選んだセンスが光ります。

 

・花見上ぐ縁の不思議や彼と我

・うす紅のひとひら連れて吟行す

 

評:

この二句は最初の形はだいぶ違ったものでしたが、かなり苦労して手を入れていたのを見ていました。

一番目の句は従姉妹と花見にいったこと、二番目の句はもともと吟行の句ではなく車の中に花片が入ってきた、というような体験を元にしています。

葩さんは武術の弟子見習いでもありますが彼女の苦手は個々の事柄を一般概念化して関連づけることです。この句は個人的な体験を普遍的な句にするということで結果的に武術の稽古にもなっています。

 

・葩の字は象形文字かポンに似て

・わが俳号太極拳のかたに似て

 

評:

太極拳を詠んだ句です。そういう意味ではやや内輪受けですね。

ポンは棚に似た字で日本語では変換されないのですが【才朋】と書きます。弾力をもち膨らんだ張りのことです。

二番目の句は葩という字が太極拳をやっている人に見えるという句ですが、これは内輪でもちょっとわからないです。

 

にしこり ←松井の顔に見える

 

的なものでしょうか。ちょっと普遍性を持たせそこなった感があります。

ただ、太極拳と俳句をやっている葩さんにしか作れない句、というオリジナリティはあります。それと普遍性の両立が課題です。

 

 

・ぼろぼろの俳句雑誌に師父想う

 

評:

俳句現代を貸し出したことを詠んでくれたものです。ありがとうございます。

 

・初Tシャツひじが寒がる夕間暮れ

 

評:

季節感はありますが、これは句として残すほどの話でもないかな、と思います。

この体験に対し感じ入るところがあったなら、その「感じ」を主題にしないと読んだ人に伝わりません。

 

たとえば

 

・アンパンはパンにあんこが入ってる

 

これは、そりゃそうだろ、ということで俳句になっていません。が、

 

・パン割れば中にあんこのある不思議

 

とすれば、言われてみれば不思議だね、となります。

 

・春ふかし寝汗で目覚む午前2時

 

評:これも、だからなに? という風に感じてしまいます。また、「春」「寝」「目覚め」「午前2時」はどれも時間表現なのでちょっとくどいです。重複を避けたほうがよいでしょう。

 

・句が旬に筍になりて夕餉沸く

 

評:

字形の連想を詠んだ句ですが、これは上手いです。目で見て面白いだけでなく口に出してみるとラップ的なリズムがあります。

 

・様々なかおで渡りし橋のある

 

評:吟行を振り返って後で出来た句だそうです。橋がある、ではなく橋のある、にしたあたりに「俳句分かってきた感」が感じられます。

 

・吾はここをエデンと定む湯を沸かす

 

評:

これはぶっちぎりで良いです。

「吾は/定む」という重さと湯を沸かすという日常的な軽さの対比も良いし、素直さと技巧が両立しています。

初句会での作風から考えると、NHK教育の体操のお兄さんがVシネマで極道をやっているくらいの変化ですね。まだまだ作風はどんどん変わっていくと思います。楽しみです。

 

 

 

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5/16 吉祥寺吟行

 

 

 

 

第二回の吟行は吉祥寺で行われました。前回の参加者に加えてピエールさんとOさん(号未決定)が加入しました。

別に街をテーマにして句作してもよかったのですが、みなさん井の頭公園を中心に散策したようです。

あいにくの天気で時折、雨が降りかかってきましたが、山歩きに練達した九さんが「これならやむでしょう」と言ってくれたので一安心。はたしてその通り、大きく濡れることなく吟行を終えられました。

 

◆この日のワンポイント◆

 

・ピントをあわせるということ

俳句はどんなささいな日常の事でも拾い上げ、不思議と思える感受性から生まれます。

そのためには漫然と見るのではなく、いつもと違った視点で見ると良いです。たとえばお月見は月という普段から見慣れたものを鑑賞するためにお団子をこしらえたりススキを供えたりして礼を払います。そうして見えてくる月は普段と違った輝きがあるでしょう。

というより、普段から月はそれだけ美しかったけれど、鑑賞する人間の側が鈍磨しているから、そうした手順を踏まないと美しさに気づけないのです。結婚記念日にディナーで盛装したパートナーを見て惚れ直す、といった感覚も近いかもしれません。

茶道なども、同じお茶であっても紙コップについで適当に飲めば感動はなく、ああした形式の中で味わうから「感じ」を生む体験になります。この日はその例として『一日一菓』という和菓子の本をお持ちしました。お菓子をどの器にどう盛るのが一番映えるか、という追求や季節感の表現は俳句に通じるところがあります。

 

では、みなさんの句です。

 

◆慧

藤棚に刺す陽光目に眩し

東谷(あずまや)を囲む木立や緑濃く

うぐいすの囀り遥か藪の中

春がすみ山の稜線くもらせる

うこん桜上水(うわみず)桜競い合い

 

評:

もう特に何もいう事がないくらいしっかりと俳句になっています。どれも「緑」がテーマなのでむせかえるような緑色の感じが伝わってきます。強いて言うならやはり口に出してみたときのリズムを意識するともっと良くなると思います。

 

◆葩

名を知るはこればかりにてハルジョオン

 

評:

よく見る花にフォーカスを当てるということでいうと、ワンポイントを生かしてくれたのかな、と思います。第一回のファンシーさ、甘さが消え、良い意味でジェンダーを越えた句になっています。

 

◆九

あつまりてみな笑顔にす井の頭

水の中噴水飛んでハート形

水の上子供が渡る七井橋

横たわる黒大木の笑顔かな

人になれボートに近づく夫婦鴨

雨降りてひょうたん橋で立ちつくす

アメンボ島水辺を好むセキショウ

緑深し山吹ひかる浅間嶺(せんげんれい) ☆

緑なす山の木々にも藤からむ ☆

君の背の大根の葉が風にゆれ ☆

 

※☆は別の日に作った宿題句です。

 

評:

前回に比べて長足の進歩を遂げています。感性が瑞々しく、特に最後の句「君の背の大根の葉が風にゆれ」は、どこにもそんなことは書いていなくても恋の句だな、空が青い句だな、というような景色が感じられます。

最初の一句も何ということのない句ですが、この日皆で集まって句会をしたね、という記念撮影的な意味で心温まる句です。

 

◆夢坊人

エサくれと我に近寄る二羽の鳩

石楠花(しゃくなげ)の小さな蕾は金平糖

汗光る拭うタオルに鯉幟(こいのぼり) ☆

雨しきり芽吹きの湖畔歩く子ら ☆

簪(かんざし)と木五倍子(きぶし)手折る細い指 ☆

 

評:

これもまた前回から長足の進歩があり、もはや別人説まであります。川柳感が消え、本格派の俳句です。また、ロマンチックな一面が見れたのも新鮮です。最初の一句は一人称を我→俺としたほうが面白味が出るかもしれません。

 

◆ピエール

森囲む灯りもぼける灰の空

雨の後波紋に潜む長い首

穴だらけ葉を綱渡り幼な虫

迷い道春雨逃げてチョコバナナ

緑の中緩んだ背中湯気立つ茶

 

評:

幼虫を幼な虫と表現した感覚に参加者から感心の声が上がっていました。気取りすぎず等身大の自分の感じたことを素直に表現していて良かったと思います。チョコバナナは雨を避けていった先に2mくらいのチョコバナナが立っているのを想像するとちょっと怖いですね。

 

◆Oさん

ぶらりぶらぶらんここぐはむいのひと

つきびとをしたがえゆくはおいぬさま

はざくらのしたでいろめくばばのこえ

はなちりしさくらぎのしたおおあくび

さみだれがぽつりぽつりとわれをうつ

さくらちりはざくらしげりなつがそこ

うばぐるまさっそうとのるおんなのこ

スベりだいおれのものだとガキわめき

 

評:

ばば、ガキ、と口は悪いけどユーモラスな毒蝮三太夫的な愛嬌のある句です。また、最後の句は子供を見て大人もやっていることは同じだな、と感じたという解説はなるほど、と思いました。最初の一句のモデルは光栄なことに私です。ありがとうございます。

 

私も二句作りました。

 

湖(うみ)汲めばそのまま抹茶ハイとなる

釣り禁止スワンレイクの掟です

 

濁った池でスワンボートをこぐ恋人たちをみて、まあ、これも白鳥の湖には違いないと思い作りました。

 

参加者投票の第一席は、三票獲得の同率一位で

 

石楠花(しゃくなげ)の小さな蕾は金平糖

穴だらけ葉を綱渡り幼な虫

 

です。おめでとうございます。どちらも素直で綺麗なイメージの句です。

票が入らなかった句でも、とても良い句が幾つもありました。第二回にしてここまで劇的な進歩をするとは驚きです。

 

この日は集合を三時として夕刻から飲み会もあったのですが、そこでも濃い話がいろいろ聞けました。

また余興として短冊に好きに五文字、あるいは七文字を書き、でたらめに混ぜてランダムに俳句を作るという遊びをしてみました。なかなか楽しかったです。こればっかりやると本末転倒ですが、またたまにやりましょう。

 

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4/18 江戸東京たてもの園吟行

 

 

 

 

 

 

 

 

第一回の吟行は大半の参加者の地元でもある小金井の江戸東京たてもの園で行われました。

古く美しい建築と、桜やつつじの咲き乱れる庭、また、銭湯や都電といったちょっと変わった展示もありました。

 

◆ この日のワンポイント指導

 

・感じを表現するということ

最初の記事でも書きましたが、俳句は「感じ」を共有する文芸です。「感じ」には喜怒哀楽といった名前の付けられる感じと、それ以前の名づけようのない感じ、があります。

それらは特に句の中で「私は楽しかった/悲しかった」というような書き方をしなくても伝わります。

青空の下、花が咲き乱れていて蝶が飛んでいる、というようなモチーフを選んで句を作ったのなら、それは楽しかったのだろうと伝わりますし、雨の中で打ち捨てられた自転車が錆びついている、というモチーフを選んだなら悲しかったと伝わります。その感覚の共有が俳句の前提になります。

 

・花鳥風月について

そうした自分の感じを託すモチーフとしては花(植物)鳥(動物)風(現象)月(景色・無機物)があります。

それらはおのずと季語になる場合が多いです。基本的には同ジャンルのモチーフを(鳥と鳥など)を同時に詠みこまないほうがまとまります。

 

・声に出して味わうこと

俳句は極論すると好き嫌いはあっても良し悪しはないともいえるのですが、口に出して吟じてみてつっかえる句は、呑み込みにくい、感じが伝わりにくい句です。聞いた瞬間に作者の世界がぱっと広がって五感に伝わってくる、という即効性も俳句の醍醐味です。

 

・以上も踏まえつつも…

実作においては上記の事は気にしすぎずに発句しましょう。上記の条件を全部無視した名句もあります。優等生的な評価を得ようとすると無難でつまらない句になります。まずは好き勝手にやりましょう。

 

以上のようなことをお話したあと、散開して句作しました。

 

以下、作者別です。

 

◆慧(けい)

木々の中に凛として立つお霊(たま)や

松風がざわゝと鳴る昼さがり

ふるき家におもかげしのぶ前川邸

夏の日の軽井沢ににたり洋館なり

 

評:

声に出してみるとちょっとひっかかる字足らず、字余りが気になりますが、はじめてなのに非常に俳句らしい俳句です。逆に言えばもっと俳句はこういうもの、という固定観念にとらわれすぎないほうが良いかもしれません。

 

◆葩(はな)

なくしもの知っているよともんきちょう

ぼんやりと四つ葉をさがして初句会

花だいこんここにもいるよととかげの子

 

評:

とてもメルヘンチック、ファンシーですね。どの字をひらがなにして、また漢字にするかは、もっと突き詰める余地があると思います。葩さんは研究熱心なので第二回以降は大きく作風が変わっていきます。

 

◆九(きゅう)

花大根むらさき小花たてもの園

サトザクラ ザ・ラランデ邸武蔵園

かやぶきはすすきとあし麦わらもあり

シラカシは火事防災のためにあり

さくら餅歯につく葉っぱ塩漬けか

かやぶきの土間のたきぎ思い出す

桜海ひざまずく我波の中

桜海からだゆだねてどこへゆく

 

評:

前半五句はなかなか前代未聞で、あまりにも事物をそのまま書いただけなのですが、こういうド直球な怪句は回を経てテクニカルになると作れないものなので味わい深いものです。

一転して後半二句は情景が大きく広がり、情感があふれています。それだけに桜海の句は、むしろ二句ではなく一句に絞ったほうが、より深い印象を残します。

 

◆夢坊人(むぼうじん)

都電見て思わず歌う影法師

春眠は暁覚えてチョー早起き

花が泣くオオイヌフグリとハナダイコン

65過ぎたらどこでも御老人

風呂あがり腰に手をかけジュース飲む

里の春次郎の空もかくあらん

 

評:

全体的に俳句より川柳に流れがちな作風ですが語呂の良さに対する感覚があります。また、入場料の年齢割引、銭湯、都電など、他の人と違う着眼点があるのもよいと思います。最後の句は『次郎物語』の作者が武蔵野ゆかりだったということだそうですが、季節、郷土、ロケーションなどが反映されていて、私としてはこの日の句の中で一番良かったと思います。

 

 

参加者投票は

 

花が泣くオオイヌフグリとハナダイコン 夢坊人

 

が第一席となりました。おめでとうございました。

投票の理由はまだみなさん「なんとなく」というのが多かったですが、回を重ねるうちに自分なりの評価基準が出来てくると思います。ただ、あまり人の評価を気にすると内輪受けになるので、あまり評価されることをモチベーションに作らない方が良いです。

 

 

私は特に浮かばなかったので作りませんでしたが、主催者なんだからどうしても、ということで一応一句作りました。

ただ、これはまず「感じ」ありきではなく渋々作ったのであまり良い句ではないです。

浮かばないときに無理に作るのはやめましょう。

 

 

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はじめに (ご案内)

 

管理人の佐山史織です。

 

私の本業は武術家で、小金井市総合体育館で護身術や太極拳を教えています。

そこの生徒さんが私の昔作っていた俳句を見て興味を持ち、乞われて俳句の集まりをやることになりました。

 

ご覧の通り私の俳句は我流で、有季定型の写生句でもないので初心者の教導にはまったくの不向きなのですが、それでもいいということなので、やれるだけやってみようと思っています。

全員ほぼ初心者の非常にゆるい感じの集まりですので、どなたでもお気軽にご参加ください。

 

 

 

◆活動内容◆

 

月二回、火曜日の昼に吟行・句会を行います。会費は一回500円です。

集合後、ちょっとしたワンポイント講義のあと、散開して各々で句作します。再集合したのち、集めた句を清書してシャッフルし、どれが誰の句か分からないようにして吟じます。参加者は自分の句以外で好きな句に票をいれ、その句のどこが良かったかを評してもらいます。

その後、難解な句は作者に句意を説明してもらったり、いろいろ歓談します。希望があれば添削します。

作品はこのブログでまとめます。数が集まってきたら、小冊子などにする可能性もあります。

 

そのほか、不明な点があればお問い合わせください。

 

080-4737-3618 (佐山)

 

 

 

◆俳句に対する考え方◆

 

なんで人は俳句を作るのか、俳句とは何か、と考えると、私はどうも人に「感じ」を伝えるものではないかと思います。

五七五であっても季語が入っていても俳句にならないものがあれば、そうした条件を一切無視した「咳をしても一人」のような句も俳句だと感じます。これは俳句の感じ、俳味(はいみ)と呼ばれる感覚があるか、ないかなのだと思います。

 

俳味とはなんだろう? と考えると、それ自体は言い表せないものです。しかし、それがあるかないかは分かる。その不思議な感じを捉えたい、伝えたい、というのが俳句ではないでしょうか。

 

ですので、吟行に行っても句を作らねばならない、ということはありません。

何も感じなかったのに言葉をそれらしく並べて、テクニックで句にすることは出来ますが、そこにはどんな「感じ」もこもりません。作れなかった日は作れなかったで、選評だけ参加してもらえばいいと思います。

 

今日は写真が撮りたい気分だった、とか、ただぼうっとしていたかった、とか。

 

意識下では俳句を作っていなくても、案外、そうした状態が俳味の源泉であったりします。ノルマをもうけたり、作ろうという作意が強すぎると、かえって俳味から遠ざかります。

武術の修行には苦行と遊行がありますが、吟行は遊行です。遊ぶ、というのは「ハンドルの遊び」というようにブラブラしていること、無為であることだと思います。

 

遊びをせんとや生まれけむ。一緒に無為を楽しんでいきましょう。

 

 

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