9/19 慧さん投稿句

浅草句会の際にお預かりしていた句です。

 

◆慧

 

教会の鐘にめざめる旅の朝

石だたみ歩く靴音コツコツと

ビールのあわ笑顔がこぼれる食事時

霧立ちぬ樹木の間に白き道

雨つぶて風もともなう野分きかな

 

 

評:

以前の評で視覚だけではなく他の五感も働かせるとよい、というアドバイスをさせていただきました。

今回は「鐘の音」「靴音」といった聴覚。「ビールのあわ」「霧」「風雨」といった皮膚感覚が加わり、ぐっと句の幅が広がっていると思います。

また、私は事前に慧さんがドイツに行っていたことを知っていたのですが、そうでない人もこの句を読めば、ヨーロッパのどこかを詠んだ句であることがすぐ分かるでしょう。外国に行ったという直接表現をしなくてもそうしたことが伝えられるというのは高い表現力です。確実に進歩されていると思います。

 

今後のアドバイスとしては、ものごとの核心を捉えて象徴化する、ということが言えます。

季語などもその働きが有りますが、たとえば人の死を描くとき、誰それが死んだ、とだけ記述してもそれに伴う感情は伝わりません。しかし「誰それが死んだ。庭の椿がポトリと落ちた」と描くと喪失感が伝わります。このとき、椿は死の象徴として強いイメージを想起します。

 

今回の句でいうと四句目、「霧立ちぬ樹木の間に白い道」ですが、写生、写実ということでは本当にそういう場面があったのだと思います。そしてその風景に何か心を打たれたので発句された。しかし、その生の感動が10とすると、それをそのまま言葉にしただけだと5くらいしか人には伝わりません。

それは、凄い夢を見た、という話を興奮して話しても、他者はふーん、くらいにしか聞かないのに似ています。なかなか難しい事です。

 

たとえば寺山修司の句にはこんな句があります。

 

・聖前夜馬が海への道ふさぎ

 

これは「聖前夜」「馬」「海」のどれもが象徴になっていますが、不思議な静かさがあります。

私はなんとなくルソーの『眠るジプシー女』のような非現実感を感じました。

 

 

「感じ」を伝えるのが俳句の骨子ですが、見たものを見たまま句にしても、感じが伝わるとは限りません。どうすれば感じを伝えられるか、インスタレーションを試行してみてください。また投稿お待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

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