11/14 東京競馬場吟行

 

 

 

今回は夢坊人さんの発案で府中に吟行に行ってきました。
ピエールさんと三平さん、そして初参加の四子さんが14時から合流ということで、先に着いたメンバーは是政駅近辺を探索しました。
 
 
駅からすぐの是政橋は絶景です。川では釣り人もちらほらといました。
 
 是政橋あゆ釣り人のシルエット 九
 
突然ですが今回は作者ごとではなく傾向ごとに句を並べてみたいと思います。
 
土手沿いはすすきが群生しています。
 
 
 逆光の影美しき多摩の秋 史織
 
お昼は大東京綜合卸売センターで頂きました。
 
 
市場はお休みの日だったのですが、それはそれで普段と違った側面が見れたと思います。
観光はコンテンツを見に行くものですが、吟行はぶらぶらすること自体を楽しむものなので、むしろ静かで良かったかもしれません。関係ないけど「大東京綜合卸売センター」は五七五になってますね。
 
競馬場はモダンな建築で広い芝生の公園広場がありました。最近の競馬場はこんなにお洒落なものかと驚きました。レースは開催していませんが真っ白な誘導馬を二頭見ることが出来ました。うららかです。
 
広場の様子を詠んだ句です。
 
 枯葉踏む子らに馬場(ばじょう)もなごみ顔 ピエール
 
 競馬場子等の声するのどかさや 三平
 
 空高き馬無き馬場に子らの声 慧
 
 競馬場芝を走るは幼児たち 夢坊人
 
無邪気に遊ぶ子供たちを詠んだ句です。
馬の代わりに子供が走っているという所に着眼した夢坊人さんと、空を詠み込むことで馬場の横の広がりに高さを加えた慧さんに工夫が見られます。
 
 丘の上登り詰めると青き馬場 慧
 
 セスナ飛ぶ馬場(ばじょう)の丘をかけ上がる 葩
 
芝生の丘を登りきったら視界が開けたという山口百恵の『横須賀ストーリー』のような情景です。
一句目、「登り詰めると」は好みの問題ですが「登りつめれば」でもいいかと思います。「詰める」は漢字だとちょっと句のイメージに対して窮屈かもしれません。
二句目、実際に飛んでいた飛行機はセスナではなかったのですが、セスナが好きというのと小型飛行機の総称的な象徴としてセスナは変えたくないということでした。
思い入れがあるならそれでよいと思いますが、一般的には「拳銃」を「トカレフ」とか「車」を「ベンツ」など銘柄を指定しただけでその固有名称のもつイメージが良くも悪くも句の印象を決定的にするので、受け取る側がどう感じるかも考えて使う方がいいでしょう。「かけ上がる」は「駆け上がる」としたら字に馬も入っており平仮名よりスピード感が出ます。
 
 転がれば芝温かき西日の子 史織
 
 枯れ草を転がり知るよグラビティ ピエール
 
芝生の斜面を転げて遊んだことを句にしたものです。
 
夢坊人さん、九さん、葩さんも転がりました。
ピエールさんは芝を転がったら仕事などのモヤモヤが一気に払拭できたそうで、何よりです。
 
競馬場と馬そのものを詠んだ句です。
 
 休日は白き墓なり競馬場 四子
 
 美しき踝哀し競走馬 四子
 
 糞拾いそろりそろりと馬のあと 三平
 
 幼き日馬の瞳に映る我 九
 
三者三様で面白い句です。共通するのはどれも対象を通して自分自身の価値観や感性などの内面を詠んでいることです。文学、表現としての俳句の側面です。対象と自分の距離をどこに置くかが作風そのものになってくると思います。
 
たとえば自己を完全に削ぎ落とした神の視点で対象を透徹した目で詠むと、かえってその作者の核の部分が強く浮き上がったりもします。例としては以前にも紹介した死刑囚の方の句、
 
 抱かれると思う仏の膝寒し
 
というのがあります。一方で、思い切り対象と自分を重ね、感情をストレートに表現した
 
 やせ蛙負けるな一茶これにあり
 
のような例もあります。どちらが良いということはなく俳句かくあるべしというものはありません。
そもそも自己表現や詩、文学である必要もないという考えもあります。
その場で詠み捨てて後に残さないのが美学だという人もいれば、読んだ瞬間から作者の手を離れて独立して句は命を持つという人、作品を自分の子だという人もいます。そうした多様性、多重性が俳句の魅力の一側面でしょう。
 
今回の吟行は四子さんのご参加で新風が吹き込まれ、かなり句風の幅が広がったと思います。是非、続けてご参加いただければと思います。
 
 
 

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